今度はT建設

T社をやめた後、失業保険を貰いながら、パソコン研修などを受けていました。不動産業でもと漠然と思っていました。とあるお葬式でT社の下請けの社長と会いました。話したところ、T社の受注が無く仕事が回ってこない。このままでは自分も大工に戻るとのこと。それじゃぁ、俺が受注したら下請けになるか聞けばOK.どうせ仕事が無いのだから文句の出様がない。と言うことで組んでやることにしました。ちょうどその時、鷹栖町の北野で分譲が始まります。第二期のとき、徹夜で4区画入手しました。その時の徹夜仲間4名中2名から受注しました。後、町長になった方も居ます。

 初めから順調すぎたかもしれません。第三期には頼まれた分もありましたが、20区画購入。3日前の朝5時から並んで一番札です。いろいろな業者が並んでいました。一般の方も居たのですが、阿吽の呼吸で、何気なく希望の土地を聞き出して代わりに買ってあげるのでお引取りいただきました。業者が買うと10%引きですが、一般の方は定価です。黙って10%あるのだから、これでよいのです。結局、鷹栖町の北野ではトータル25棟の建築実績です。このまま行けばよかったのですが、営業について判ってもらえない部分が多くて、最後に出ることになりました。勿体無い事をしましたがムリ!

㈱ホーム・アシスト設立からK工務店

 T建設から出た後、宅建業の㈱ホーム・アシストを設立しました。

事前に準備していなかったので苦しいスタートではありました。何とか糊口をしのいでいるうちに、K工務店から営業全般の管理を、というお話を頂きました。

ちょうど他社を退社した支店長経験者にしばらく、会社を預かって貰う事として、K工務店に出向(?)しました。

K社は、他社との差別化もできず、価格競争に巻き込まれて、思う様に収益も受注も上げられない状態でした。自然、営業マンの報酬も低く士気は下がっていました。

接客も自信なさそうで、すぐに「注文住宅ですから、ご予算次第でどうにでもなります」と言う始末。どのレベルの商品をどの価格でその市場に投入するのか、きちんと決めていない、と感じました。作った商品はW断熱、第一種熱交換換気暖房、16mm外壁材、省令準耐火構造の住宅としました。モデルハウスを建てて、営業展開です。それと同時に、営業マンの処遇です。成績が下がっても給与は下げません。そのかわり4ヶ月受注がなければ解雇します。過酷に見えますが、すぐに雇用保険金が出ます。年数によっては退職金も満額出ます。ガソリンもカードにしました。これで月末の行動量を確保します。

気がつくと還暦

気がつくと還暦を過ぎてました。

今後のことを考えている矢先、㈱ホーム・アシストで活動していた宅建主任者が独立の意向を示しました。ちょうどよい潮時かもしれません。

2級ですがファイナンシャルプランナーをとって、振り返ってみるといささか手遅れかもしれません。もっと早い段階でいろんなことを整理しておくべきだった。いや、まだ間に合う。もう遅いと考えるか、まだ間に合うと考えるかでは大違い。

 まだ間に合う人に有効なアドヴァイスをして行こうと考えて、K工務店を退社しました。本当によくしてもらいました。総務系が充実していてしっかりしています。

 商品も、営業の体制でもそれなりに貢献できたと自負しつつ、㈱ホーム・アシストに復帰いたしました。あの価格で、あの性能の住宅はほかにあまり無いですよ。決しておべんちゃらではありません。お買い得です。

 いつでもご紹介しますよ。

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